とある方に、毎日文章を書くことは自分にはできない、よく書けるねと言われたことがあります。今のわたしは書くこと自体は苦ではありません。いつからどうやってそうなったのか考えてみました。

※大内盛見の歌碑、一の坂川沿いにて。
読書をする
いきなり文章を書くことが好きになったのではありません。ほとんどの人がそうであったように、わたしは小学生のころから夏休みの宿題である読書感想文が嫌いでたまりませんでした。いかにして文字数を増やすか、それしか頭にない少年だったので、そういう意味では夏休みが嫌いでした。
ただ、本を読むこと自体は好きでした。本好きの親の影響でしょうか、同じく小学生のころには学校の図書室で本を借りるなどして多少は読書をしていました。とはいえ、文学少年というわけではなく、小学生ですから気になるものも多く、読書以外のことも多かったです。
学生時代一番読んでいたのは高校生のときでしょうか。夏休みの間、祖父母の家に寝泊まりしていたこともあり、特に娯楽もなく好きなミステリーをよく読んでいました。読書をしたからといってすぐに文章が書けるわけではありませんが、本から得られるものは大きいと感じています。今では外出の際に時間があることが分かっている場合には必ず本をもって出かけます。地方では車の移動が多いため、運転ばかりのときは本を読むことはできませんが。
日々文章を書いてみる
何でも”慣れ”が必要です。文章を書くことも慣れが必要であり、何かしら書いてみることは必要でしょう。紙きれやノートにペンで書くのも良し、iPadやパソコンに入力してみるでも良し、自分が書きやすいもので書けるだけ書いてみれば良いのです。
わたしは日記とブログを書くのでパソコンのキーボードですが、例えば万年筆で文字を書くのもおすすめです。万年筆は受験生時代にも多用していましたが、ボールペンに比べて圧倒的に疲れにくいというメリットがあります。筆圧の弱い私には万年筆は必須でした。
書く内容も何でも構わないと思います。わたしの場合は日記に前日の出来事や、そのときの感情など、誰に見せるものでもないのでただひたすら思ったことを書いています。ときにはここからブログのネタが生まれることも。
思考の整理のために今考えていることや思っていることを紙に書きだすのも良いと聞いたことがあります。ストレスを抱えているときなど、意外とそれを言語化できないことがあります。そういったことでも書いてみると今の自分の状況や意識していなかった本音が出てくるかもしれません。
時間を決めて日々何かを継続して書いてみるということがやがて文章を書く慣れを生み出します。
読む→書くの連続で言葉が蓄積される
始めのうちは何も書けない、うまく書けないということがあるでしょう。わたしもうまく書けているわけではありませんが、文章を書くこと自体は慣れてしまえば苦ではなくなります。
そして、この読むことと書くことを繰り返すと、いつの間にか文章が書けるようになってきます。本を読むことでその本に書かれた言葉の使い方や意味、文章の構成が自分の中に蓄積され、これをアウトプットの形で”書く”ことでさらにそれが自分に返ってきてまた蓄積される。この流れが文章を書くことに自然とつながっているのだとわたしは考えています。
ブログを始めるときは、毎日文章が書けるか不安でした。わたしの場合は自然とこの読む→書くの連続ができていたことが良かったのか、今のところ毎日こうしてブログを書くことができています。ブログは平均1,500文字程度は書いています。よく考えると400文字詰めの原稿用紙4枚前後は書いていることになります。これだけ書ければ読書感想文も怖くはなかったのにと今では思います。
夏休みの宿題を終わらせるためのテクニックのような即効性のある話ではありませんが、誰かに言葉で伝えることはこうした日々の積み重ねによってできていくものです。
- 直近の出来事
毎日の水やりのとき、別に伸びてもらわなくて良い雑草たちが気になり始め、少しずつ草抜きをしています。暑いので本当に少しずつです。

