わたしが読んだ本にノワールレブナント(浅倉秋成(著))という本があります。この本には日記の話が登場するのですが、そこに書かれた一文に胸を打たれたことがあります。
”文章は、それが稚拙な日記だろうと、高尚な文学書であろうと世に出して、未来の自分あるいは自分以外の近しい人や他人の目に触れて初めてそれが存在意義を持つ
そうでなければ文章にはならず、この世に存在するものでもない”
これによれば、わたしのブログは他人の目に触れているので存在意義を持ち、ただの日常を書いた日記はわたし以外に見ている人はいないので、この世に存在するものではないことになります。
ただ、8年日記を書いたわたしにはそれがこの世に存在しないものだとしても、一定の効果があると考えています。それを今回は書いてみます。

※流れ続ける川。
日記を書こうと思ったワケ
日記を8年ほど書き続けています。あっという間に8年経ったというような感覚です。
そもそもなぜ日記を書こうと思ったかというと、もともと日記というものはクローズドなものであり、誰かに見せるものではありません。
ただ、わたしにも家族ができて、日々家族と生活しながら生きていると、わたしとわたしの家族について思ったことや感じたこと、考えていることを少し残してみたいと思ったからです。
わたしの人生が終わったときに、子どもたちがわたしの日記を見つけ、生前の父親はこんなことを考えていたのかと感じてみるのも面白いかなと思ったのです。意外とそのときに親が何を考えて生きていたのかを知る機会はありません。
わたしは子どもがまだ小さいころ受験に明け暮れてろくに遊んであげる時間を作ることができなかったので、そういった意味でも今何を考えて生きていたのかを形に残すのも良いのかもと。
人生で初めて身近な人、祖父の死を見つめ、人生の有限を感じたのもやはり何かを残そうと思ったきっかけのひとつです。
祖父は生前、家族新聞というものを作っており、よくその新聞のネタになる文章を書けと言われていました。当時は家族新聞のネタを書くのがイヤでしたが、今祖父に頼まれれば喜んで書くでしょうね。あの頃の祖父は、わたしがこんなに文章を書くようになるとは思いもしなかったことでしょう。
書き続けて良かったこと
日記を書き続けて良かった事がいくつかありますが、まずは、文章力がつくことでしょう。
小学生、中学生時代のわたしの読書感想文はひどいものでした。
日記は添削される事はありませんが、日々書き続けているとおかしな文章だなと気づくこともあります。読書することも、文章を書くことにつながるので、日記×読書という感じでしょうか。
自ら始めた日記ですので、苦痛はありませんでした。日記を書くことを日課として決めると気づけば1日の楽しみにもなっていました。
また、書き続けることで、文章を書くことに慣れてきます。いまだに堅苦しい文章を書くことはできませんが。
お客様に対する文章を書くことにも慣れてきます。どういった言葉を選べば、お客様に伝わるのか、わかっていただけるのか、自然に考えられるようになりますし、この言葉はこう言いかえた方がいいなという選択もできるようになります。
日記によって文章を書き続けているので、ブログを始めたときも、文章を書くこと自体に抵抗はありませんでした。何度も書いていますが、困るのはネタだけです。
ブログは日々1,300文字以上は書いていますが、楽しんで書いています。
時々、お客様にも文章力がすごいわかりやすくてすっきりしたといったお言葉をいただくことがあります。
基本的に電話を使わないので、お客様とやりとりするときはメールやチャットがメインになります。そのため、極力やりとりの回数を減らすことが必要であり、適切に意向を伝える文章の作り方が必要だと思っています。
さらに、日記を書くことは、過去を振り返りますので、昨日より前の自分を顧みることができます。良かったことや悪かったこと、嬉しかったこと反省すべきこと、過去の自分を振り返って変えていかなければならないことを冷静に分析するきっかけにもなるのです。
書くだけでは何も変わらないけれど
少し日記を書くだけでは何も変わらないかもしれません。
ただ、書き続けることによって徐々に変わっていくことがあり、書き続けることによって副産物が生じることもあり得ます。
わたしの場合はそうですが、書き続けることで、日記を書くこと自体が楽しみになっています。
そして、書くことで過去を反省し、今の自分を冷静に見つめることで気づくこともあり、変えていきたいと思えることも出てきます。
何より1日のうちのわずかな時間でも、自分の過去を冷静に見つめ、未来の自分を想像することはとても大事なことだとわたしは捉えています。
日記でなくても構いませんが、毎日冷静になる時間や方法がない方にはおススメです。
- 直近の出来事
天候も回復し、またウォーキングができるようになりました。暑さもやわらぎ、歩く先では彼岸花が咲きほこり、秋を感じるようになりました。
自分の足で外に出るからこそ、こういった小さなことも感じられるものなのでしょう。

